日英同盟は1902年に締結され、3次にわたって延長され1921年に終了した。日本が世界外交へ飛躍する機会と重なっている。この間の日露戦争も、英米の外交指南で勝利を得たという意味で、日本外交にとって英米の存在は忘れることのできない重要な存在だ。
日本は、その英米と太平洋戦争へ突入したが、日本軍部の傲慢としか言いようがない。現在の中国が、米国覇権へ対抗すると豪語しているのは、80年前の日本の姿でもある。日本は自ら振り返って、新興国特有の思い上がりと言うほかない。
『毎日新聞』(4月15日付)は、「『ジェームズ・ボンドの時代』は終わったのか 中国への対抗策は『データと鉱物』」と題する記事を掲載した。
チャーチルは1948年、戦後の英国外交の基盤として、大切にすべき「三つの輪」を唱えた。まず旧植民地などで構成する英連邦(コモンウェルス)。2番目は米国を中心とした英語圏。3番目は欧州。この三つの輪が重なるところに英国は位置し、輪を大切にせよ、というものだったが、ジョンソン氏(元首相)は20年12月、戦後の欧州が築き上げてきた統合の枠組み・欧州連合(EU)から離脱する「ブレグジット」を完了させてしまった。3番目の輪をあまり大切にしなかったのだ。
(1)「かわりにジョンソン氏が描いたのが、欧州以外とも連携を深める「グローバルブリテン」構想である。もともとジョンソン氏の前任のメイ元首相が打ち出した戦略だが、強く推し進めたのはジョンソン氏だ。中国へのけん制という安全保障と、成長するアジアへの関与強化という経済の両面から、日本を含むインド太平洋地域をより重視するようになった。こうしたタイミングで起きたのが、昨年2月のウクライナ侵攻だ。それは英国人の目をアジアから再び欧州へ向けさせる契機となった。今年1月、英紙タイムズに「グローバルブリテンを忘れよ。欧州の防衛に集中せよ」との論考が掲載された。米国は今後、おそらく中国への対応で忙しくなるため、英国がもっと欧州やウクライナに関与すべきだとの主張だ」
英国は、すでに軍事同盟「AUKUS(米英豪)」によって、米国とともにアジア安保へ深くコミットしている。そういう現実を棚上げして、「欧州の防衛に集中せよ」という主張は現実味を失っている。
英国が、EU離脱を決意した背景は、欧州経済の発展性に見切りをつけたことだ。その代替にTPP(環太平洋経済連携協定)への加入が決まった。英国の読みでは、米国をTPPへ復帰させる腹積もりであろう。米国が復帰するTPPによって、英国は最大限の経済発展を遂げようという青写真を描いていると見られる。次世代型戦闘機開発で、日本・イタリアとの共同開発に乗り出した意図も、日本との強いつながりを求めている結果であろう。英国は、120年前の日英同盟の精神に戻っている。
(2)「ある外交筋は「実態としては(米英豪の安全保障の枠組みの)AUKUS(オーカス)などを通じ、アジアへの関与は既に定着している」と話す。英国は数年前、今とは逆に対中関係を強化した時期があった。保守党のキャメロン政権時代(10~16年)だ。中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加についても、15年に主要7カ国(G7)で最初に表明し、英中関係は「黄金時代」とまで評された。だが同じ保守党で、英下院外交委員長を務めるアリシア・カーンズ議員は今年3月、講演会でこの政策を明確に「失敗だった」と述べた。「私たちは既に、携帯電話、自動車を動かす技術など、重要な部品について危険なほど中国に依存している」と続けた」
英国が、AIIBへ率先して参加したのは失敗であった。日米は、中国の強い要請にも関わらず参加を拒否したからだ。一帯一路参加も英国が、欧州の先陣を切った。日米は、これにも参加しなかった。結局、英国はいずれにおいても中国に裏切られて形になった。英国は、これで初めて中国の実態を知ったのだ。アジアを知るには、日本というパートナーが不可欠と認識したのであろう。これが、英国の日本接近を急がせたのだ。
(3)「現在のスナク政権も対中警戒を強める。3月13日には、ジョンソン政権が21年に打ち出した外交・安全保障政策の基本方針「統合レビュー」の改定版を発表。台湾侵攻を否定しない中国を「国際秩序に挑戦している」と批判し、強い危機感を示した。「台湾問題」が英国の外交基本方針に盛り込まれるのは今回が初めてとも報じられている」
英国は、これまで中国に対して強い贖罪意識が働いてきたはすだ。それが、香港をめぐる中国の「一国二制度」破棄によって、頭から冷水を浴びせられたのである。その怒りと屈辱が、日本接近の原動力になっている。「中国打倒」という意識に燃えており、中国のアジア戦略を妨害する意思を見せている。英国は、中国と経済的なつながりが薄い。それだけに、しがらみはないのだ。
(4)「英外交は忙しい。伝統的な「三つの輪」に気を配り、「グローバルブリテン」を模索し、おそらくチャーチルも予想していなかった中国の台頭という現実とも向き合う。「私は行動を恐れない。行動しないことを恐れる」。そんな名言を残す一方、「先を見すぎてはいけない」とも言ったチャーチルなら、今の英国をどう見るか。テムズ川近くの広場に建つ銅像の視線の先には、議会がある。チャーチルは忙しい後輩たちの動きを静かに見守っている」
英国には、外交面で過去へこだわらない淡泊さがある。植民地放棄もその例である。現代の英国は、チャーチルの「三つの輪」論を尊重するが、盲従しないということであろう。そうでなければ、国家運営は不可能だ。