「香港は終わった」。元モルガン・スタンレー・アジア会長でエコノミストのスティーブン・ローチ氏は、香港での講演会でこう主張した。これに反論すると香港政府が応酬を繰り広げている。ローチ氏は、香港衰退の根拠として3要因を挙げる。自由と自主性の喪失、中国経済の失速、米中対立の激化だ。
『日本経済新聞 電子版』(6月9日付)は、「『香港は終わった』か、大物エコノミストと政府が応酬」と題する記事を掲載した。
「香港は終わった」。こう主張する大物エコノミストと香港政府が応酬を繰り広げている。自由と自主性の喪失を背景とする衰退論に、政府は猛反発する。平行線の議論はアジアの金融都市の先行きに暗い影を投げかける。
(1)「6月5日、香港で開かれたエコノミストのスティーブン・ローチ氏による講演は100人超の聴衆で満席となった。元モルガン・スタンレー・アジアの会長で、香港を「第2の故郷」と呼ぶローチ氏は2月に「私にとっては辛いことだが、香港は終わった」と題する寄稿を英『フィナンシャル・タイムズ』(FT)に掲載し、現地で波紋を広げた。
「香港終焉論」は、香港の中国化によって決定的である。金融機関の人員削減や観光客の減少など、これまでの「輝ける香港」ではなくなったからだ。
(2)「ローチ氏は講演で、「終わったのは、自由で誇り高い世界的な都市という人々が持つイメージだ」と語った。寄稿に対し香港の親中派議員は、幾多の金融危機から立ち直った実績を元に「香港にはレジリエンス(回復力)がある」と反論する中、ローチ氏は「レジリエンスに疑念を抱かせる3つの要因がある」と持論を展開した。ローチ氏の衰退論は3つの要因に基づく。1つ目は自由と自主性の喪失だ。2020年の香港国家安全維持法(国安法)の施行を機に中国本土との一体化が進み、香港市場は「独裁政治の足かせに縛られている」とした」
過去にみせた香港の回復力は、市場経済が完全にその能力を発揮できる条件を備えていたからだ。現在はそれら要因が全て失われた。第1要因は、市場経済の土台である「自由と自主性の喪失」である。
(3)「2つ目が人口減やデフレといった中国経済の構造問題だ。中国の失速は本土への海外マネーの玄関口である香港に直接影響する。3つ目は米中対立に伴う経済のデカップリング(切り離し)だ。ローチ氏は「3つの要因の相互作用から抜け出すことは厳しい。香港には独自に針路を決める政治的裁量もない」と断じた」
香港経済と密接不可分な中国経済の失速(第2要因)と、米中対立にともなう西側企業の離脱(第3要因)は、香港を取巻く外部要因の構造的な悪化である。香港は、中継貿易で発展してきた経済である。その「中継要因」が消滅したのだ。
(4)「講演があった5日の深夜、香港政府は「データと事実に香港の輝く未来を語らせよう」と題する長文のプレスリリースを発表した。ローチ氏に対する事実上の反論だ。リリースで政府は香港での多様な金融資産の巨額の取引額を列挙した。9000社を超える域外企業が拠点を置き、米国企業の拠点は増え続けているとも主張した。ただ、統計では23年の米国企業の拠点数は1273カ所で、実際に前年から15カ所増えたものの、18年比では78カ所減った。また、香港に地域本部を置く域外企業数は減少傾向だ」
香港政府は、ローチ氏の講演に反論するという事態である。「痛いところ」をつかれた思いであろう。「一国二制度」で守られてきた香港は、その制度自体が中国によって取り払われて、「一国一制度」という中国化が始まったのだ。
(5)「香港は、現時点でアジアの主要金融都市と言える。キャピタルゲインや配当に課税しない税制などのビジネス環境は政治統制が強まったいまも不変で、ある現地の日系金融機関幹部は「東京がすぐに地位を奪えるわけではない」とみる。ただ、ローチ氏が挙げた3つの困難には同意し、「先行きが見えない」と話す。講演でローチ氏は「建設的で誠実な批判」が重要だと強調した。FTへの寄稿は、現実から目を背けぬよう香港に「呼びかけるのが目的だった」と助言の意図を明かした」
中国経済がしだいに孤立する中で、香港だけ中国と無関係に発展できるはずがない。香港は、中国の「出島」であるからだ。
(6)「一方、香港政府は外部からの批判に活発に反論し、「説好香港故事」(香港の良い物語を語ろう)というキャンペーンを展開する。その姿は「中国経済光明論」を唱える中国政府を想起させる。ローチ氏の講演直前の4日は、中国で民主化を求める若者らを当局が武力で鎮圧した天安門事件から35年の節目だった。19年まで大規模な追悼集会が開かれたビクトリア公園では無数の武装警官が警戒し、追悼のそぶりを見せた人を相次ぎ連行した。かつての自由都市は変貌し、外部からの助言を受け入れる余地も狭まっている」
香港における天安門事件の追悼は、香港の中国化が始まる以前、自由に行われていた。今や、取締り対象になっている。これこそ、香港から「自由と自主性の喪失」が始まった証明である。