太平洋に浮かぶ島国パラオは、中国と国交を持たず、台湾を国家として承認している。中国から経済的な圧力も受ける中、独自の外交を続けるパラオは戦前、日本が委任統治した歴史がある。それだけに、日本が公用語の一つになり、日本語が日常使われている国だ。テレビ朝日が現地取材した。
『テレビ朝日』(3月17日付)は、「台湾を国家承認 パラオ独自の外交戦略 中国から経済的圧力も 米軍防衛拠点の最前線」と題する記事を掲載した。
青く透き通った海を泳ぐ、色鮮やかな無数の魚。世界有数のダイビングスポットとして知られる人気の観光地・パラオ共和国です。日本から南へおよそ3000キロ。時差はなく、去年10月に就航した直行便を使えば、東京からわずか4時間半ほどで行けます。国土の広さは東京23区の7割ほど、人口はおよそ1万8000人です。
(1)「パラオの暮らしには、聞き覚えのある日本語が溶け込んでいます。1920年、第1次世界大戦で勝利した日本は、ドイツ領だったパラオを含むミクロネシア諸島を占領。国際連盟から委任を受け、終戦までの25年間、統治しました。統治の拠点となった「南洋庁」の庁舎は現在、パラオの最高裁判所として使われています。なじみの言葉は、お酒の席でも。「乾杯」について疲れをなおす「ツカレナオシ」と言うなど、今も色濃く残る日本統治時代の面影。586の島々からなるパラオには、日本とのつながりを象徴する場所があります」
日本の統治が良かったのだろう。パラオには、多くの日本人も移住した。この人達が三井感情を残してきたのだ。
(2)「パラオ中心部から南に60キロの場所に位置するアンガウル州。ここは世界で唯一、日本語を憲法で公用語として制定しています。州政府で保管されているアンガウル州の憲法が日本語で書かれたもの。中を見てみると、公用語と書かれた欄があり、パラオ語、英語、日本語はこれを公用語とすると書かれています。アンガウル州議会議長は、「この憲法を作った先人たちを誇りに思います。1980年代初頭に作られたものですが、とてもユニークです。今でも日常会話の中で使っている言葉の25%くらいは日本語が由来です。ハイザラ(灰皿)、テンジョウ(天井)、これも日本語ですよね。デンキ(電気)、タマデンキ(球電気)」を挙げる」
日本語が、日常的に使われているとは、心が和む話である。
(3)「アンガウル州政府職員は、「シャシン(写真)、スキダシ(引き出し)」。単語だけでなく、パラオ人の4人に1人が日本語由来の名前を持ち、現役のアンガウル州知事の名前もケンノスケ・スズキさん(57)です。わずか100人ほどが暮らす、一見のどかなアンガウル島。しかし今、安全保障を巡る動きが慌ただしくなっています。アンガウル島の北東部にある開けた土地。この場所にアメリカ軍が最新のレーダー基地を建設予定だということです」
パラオ人の4人に1人が、日本語由来の名前という。日本人旅行者にとっては、「天国」であろう。
(4)「背景にあるのは、太平洋で存在感を増す中国の動きです。グアムやフィリピンにも近いパラオは、東アジアと太平洋を結ぶ海上交通の要衝に位置し、アメリカにとって防衛拠点強化の最前線となっています。さらにパラオ独自の外交路線も、中国を刺激する一因に。パラオは、中国が自国の一部とする台湾を国家として承認している12カ国のうちの1つで、中国とはこれまで一度も国交を結んだことがありません。パラオの国会議事堂も、台湾の支援によって建てられたということです」
パラオが、台湾との外交関係を維持しているのも、日本がつなぐ縁であろう。台湾も親日である。
(5)「パラオが、台湾との結びつきを深める中、2017年に中国政府はパラオへの団体旅行を制限するなど、経済的な圧力を強めています。ナウルやキリバスといった周辺国が近年相次いで台湾と断交し、中国と国交を樹立する中、独自外交を続けるパラオの国家戦略について、番組は外交政策を担うグスタフ・アイタロー国務相(59)に話を聞きました。「パラオは国際法を尊重し、人権を尊重し、私たちの主権や文化、伝統を守るという価値観を共有する国を支持しています。台湾との関係も、まさにそうした考え方に基づいて築かれました」と明言」。
パラオは「国際法を尊重し、人権を尊重し、私たちの主権や文化、伝統を守るという価値観を共有する国を支持」とは、日本と共通の価値観である。
(6)「中国から受ける経済的圧力がパラオ独自の外交戦略を続けるきっかけにもなったといいます。「中国政府が(2017年に)パラオへの団体観光を停止した際は、とても大きな打撃を受けました。多くのビジネスが止まり、観光客がいなくなりました。ただ、その経験が『目覚まし』になったとも言えます」。特定の国に依存する危うさを痛感したパラオ。世界屈指の豊かな観光資源を武器に、自らの手で経済を回す「多角化戦略」へとかじを切りました。「今では東京からパラオへの直行便も就航しました。ヨーロッパから台湾経由で、そして東京からマニラからと、観光客が来るルートが多様化し、経済的な成長の選択肢も広がっています」と指摘」
パラオは、中国の「威圧」を敢然として跳ね返し屈しなかった。特定の国に依存する危うさを痛感したという。中国の「戦狼外交」の虚しさを知っているのだ。
(7)「最後に、日本がパラオから学ぶべき点について聞きました。「日本がパラオから学ぶというよりも、実はパラオが学んできた多くのことが日本から来ています。国を誇りに思うこと、家族を誇りに思うこと、地域に貢献すること。そして、太平洋の国々全体を1つのコミュニティーとして見ること。他国への敬意を忘れないことです」と明快だ」
パラオの人達は、「国を誇りに思うこと、家族を誇りに思うこと、地域に貢献すること」を日本から学んだという。当時の日本の学校教育が、パラオの人達の心の中に生き続けているのだ。

